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東北人 vol.1

故郷・二戸に想いを馳せる女子大生が語る「自分が住みたい街を作れるのは自分たちしかいない」  

 岩手大学3年 神山麻緋

· インタビュー,地域,学生

岩手大学 農学部森林科学科 3年 神山麻緋

二戸出身、岩手大学に在籍中の神山さん。現在、二戸地域の食を発信している二戸わけぇもんグルメ隊、いわてキボウスター開拓塾、未来図書館インターンシップ、縁を繋ぐ会in東北の副代表を務め、岩手の注目するべき若手の一人だ。彼女のその原動力に迫ってみた。

私が一番最初に出会った印象は「いまの大学生活に危機感を感じる」と訴えてくるような、それでも何をしたらいいのかわからないという心境を感じた。 とてもまっすぐな想いを持ち、その素直なこころでワクワクするものしかやらないというスタンスは多くの大人をも巻き込んでいる。 いつも明るい表情の隠された裏には幼少の頃の環境がいまの彼女の原動力になっている。

「私はちっちゃい頃、二戸は住みたいと思える街ではなかったんです。近くのスーパーの丸正でお年寄りが『あさひちゃん』とすぐに声をかけてくるし、常に見られている環境で。移動も自転車だったけど、道がガタガタで乗れなかったし、歩いて遊びに行っていたんですよね。 お小遣いもなかったからお金を使う遊びとか、休日に盛岡や八戸にいくわけでもなかったので遊ぶ場所がなくて、ディズニーランドとかはもう憧れで、二戸は嫌だ東京は楽しい、と勝手に思っていたんです。」

都会一極集中と言われている今日、多くの若者も同じように地方と東京の格差をどこかマイナス的な印象を持っているのではないか。 これからの若者が地元を受け入れるヒントになるかもしれない。

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「二戸で住みたくないと思うのは、楽しくない働く場所がないお年寄りも多い魅力のない街、ってずっと思っていました。多くの若者はそう思っていると思います。 でもこれは、自分が関わってないから、他の人が作っているからですよね。だから、街は誰かが作ってくれるもので地域とは別の世界で暮らしていると気付いたんです。

たぶん、学校の教育も関係しているのかな、決められたことだけをやっていけば卒業できたし、自分で本当に考えて自分たちで作っていくことは思い出すとなかった。 文化祭も先生の決められた範囲内で、大人たちが決めたルールの中でしかしてこなかったから、そんな中で自分の人生を自分で作り上げるのなんて考えられないんです

でも、いまは 楽しくない街なら自分で楽しい街にすればいいじゃん! 単純に自分が楽しいと思う街を作るだけでいいって思えるようになったんです。」 

いまでこそ主体的な考えを持つようになった神山さんだが、高校生まではいま住んでいる街を大人が作った街と感じていたが、あるきっかけが神山さんの考え方を変えた。

■都会への憧れが農村部への憧れに変わった

大学に進学をし、盛岡に来てから人に囲まれて過ごすようになったそうだ。 農学部森林科学科での授業で初めて農村部での良さを知ることになる。

「私は大学の山村経済地域おこし論という授業を受けて農村部のいいところを知ることになりました。 雫石で大雨での被害を受けた時に、救援に自衛隊が訪れたのにだれも困ってなかった。昔ながらの生活をしていたから、食べ物も保存していたし、電気も蓄え、停電したとしても生活できるようにしていた。水は井戸だし、川が氾濫し、木が倒れてきてもそれを橋として活用していたんです。 むしろ、自衛隊の方によく来たねと水をあげたり、飲んでとかこれ持って帰ってとか、自衛隊の方が勇気付けられたんですよね。 この出来事が印象をがらりと変えたんです。 『お年寄りも一つの文化』なんだって。それがいま、守りたい、伝えたいという感情を持つようになりました。」

農村部にしかない生活がそこにあり、都会では考えられない自然に密着したものがあった。

神山さんにとっては、大学の授業や先生との出会いは、とても好奇心をくすぐられ刺激的な出会いになった。時代が変わると同時に大学での授業の在り方も変わっている。外部講師という形で、生き方や人生に関する講義も増えている。この講義もまた神山さんにきっかけを与えたのだろう。

「私が動き出せるきっかけになったのが、一人の人が人生について話す授業でした。 そこで話されていたのは花巻市地域おこし鈴木寛太さんの話。 前に出て話す人はもともと素晴らしい人で、もともとが凄い人だからいまも凄いんでしょ?最初はそんな風に聞いていた。でも、そんな印象ではなかった。 寛太さんは、普通にだらーと大学生を過ごしてきていて、適当に就職先を選んで大失敗をしたんです。『え、失敗したの?』と思いました。 大学生の時に震災のボランティアに行き、それが自分が本当にやりたいことなんじゃないか?と思ったそうなんです。」

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寛太さんの話題になると、とても表情も明るくなり最後に会ったのは結構前とは思えないほど、ワクワクした印象に見えた。最初から凄い人ではなく、失敗も経験していたことから、親近感を感じ魅力を感じていた。

「自分のやりたい仕事をしている。あまりいい印象はなかったですけど、やりたいことって仕事にできるんだ、とその時に初めて思いました。 ひとつ勇気を出して何か行動したから、いま充実した人生を送れてるのかなって。 私も未来のために勇気を出して行動してみようかなと思ったのが寛太さんだったんです。」

■学生にも多くの気付きのチャンスを与えたい

終始、伝わってきたのが若い時から、まずは何事も知る機会を作りたいことだ。 神山さんのこれからやりたいことの一つに二戸の中高生との交流の場を作っていきたいそうだ。自分が想ったように、二戸を出てから気付くこと。二戸にいながらにして気付ける場を作っていきたい。神山さんの想いはいつも真っ直ぐだ。

「私が叶えたいのは住んでいて楽しい街。 『自分が楽しい街にすれば、ほかの人も楽しい街になるよ』って言われたことがあるんです。 だから、自分が授業で気付いたようにいまの学生にも気付いて欲しいんです。 大人はなんでも挑戦したらいいというけど、まず何に挑戦したらいいの? 学生は勉強や部活ばかりで意外と気付くきっかけは少ないです。 私はそういったチャンスを与えられるようになりたいです。 楽しいって思えることが見つかってほしいし、大学をたらたら行かないで欲しい。 ただの木だと思っていたことが広葉樹に見えたり、新しいことを知ると見え方が変わるから、高校生にもいろんなことをしてもらいたい。 二戸を七色以上で染めたいです。」

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文・編集 / 大森綾 写真 / 鈴木聖也